古都首里の歴史と文化を学んで、
もっと首里を好きになろう!


第3期首里大学(市民大学)開催レポート

平成24年度「琉球王朝祭り首里」&那覇市歴史博物館&おきなわ県民カレッジ連携講座

全5回の講座です。日程とカリキュラムはこちらご覧ください。


第5回(最終回) 平成24年8月28日(火)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(403研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 首里城公園管理部事業課課長補佐/学芸員 上江洲安亨氏
テーマ 首里城に魂を!首里城公園の文化財復元製作・収集取組みについて




上江洲氏の所属する海洋博覧会記念公園管理財団・首里城公園管理部では、
園内の植栽や芝の育成・管理、有料区域(ウナー内)のイベントや魅力の創出、公益事業の実施、
売店などの収益事業の実施、散逸文化財等“沖縄の宝”収集の首里城基金事業等を行っている。
収益事業で得た利益は、公益事業…たとえば中城御殿復元に必須の古写真の収集等に充当している。

首里城と関連施設の復元とともに必要な付属物、琉球文化の所産である美術品や
書画、骨董、漆芸品などの収集とその復元、またその公開も当事務所の重要な仕事である。
そこにはスタッフの威信と誇りをかけた情熱と労力が注がれている。

たとえば正殿二階・“玉座”のある御差床の背後の壁面に大きな扁額が掛けられている。
これは当初はなかったもので、開園3年後に設置したものだ。
戦前の史料でここに扁額があったのは判明しているが、写真がないのでどんなものかは不明だった。

「中山世土(ちゅうざんせいど)」、「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」、「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」
歴代清皇帝の筆になる、歴史の重みと力強さに満ちた、お馴染みの三点の御書の扁額である。
城復元のモデルとなった18世紀初頭の正殿にはすでにこの扁額が架けられていた。

スタッフは歴代の三人の皇帝直筆の御書がどんな筆跡であったか分からないので、
現地の中国公文書館を訪ね、皇帝が残している文書の中から御書に使われている文字の筆跡を探し、
該当する文字がない場合はベトナムに残存する筆跡の写真を取り寄せたりしたという。
そして判明した筆跡をコピュータグラフィックで再現、沖縄の書家に実際に復元揮毫してもらった。
その調査だけで1年半を要したという。

中央に架かる「中山世土(ちゅうざんせいど)」は、康熙帝筆で、琉球は中山が代々治める土地である、という意味。
右の「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」は雍正帝。球陽(琉球)にはめでたい印が集まっている、という意味。
左の「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」は、海の向こうの琉球を永く幸いに治めよ、という意味で、乾隆帝の筆になる。
これを得て、玉座を有し様々な儀式の場となった大庫理の空間が数百年の時を経て美事に蘇った。

また王府の儀式用漆器の製作法は、貝摺奉行所の記録に残っているが、
漆の調合法や下地の作り方は現在と違う。
御書扁額にみる試行錯誤の製作工程ははからずも伝統工芸の再現となり、有益な今後の諸復元作業につながる。

琉球漆器はデイゴの素材に豚の血を使って作るという民間伝承があるが、
実際はレントゲン撮影で分析すると、素材は高級な杉や檜で、薩摩から移入されたものに違いなく、
下地の漆は豚のそれでは当然ないという事が判明。伝承はコスト削減の必要が生んだ明治以降の習慣か。
これも当事業所の復元作業工程で確認された成果ともいえるかも…。

正殿一階の正月儀式で使われた酒肴振る舞い道具である足付き盆などは、
微妙な曲線を作るために木片のテープを少しづつずらして巻いたりしているが、
沈金技法、花弁の模様の輪郭描写を含め、単なる形の復元でなく、
二百年前の技法を復元するつもりで、四十数点すべての漆器作品を復元し、そして公開・展示する。

その他、漆器の図案の元となる絵画やその絵師の新発見作品、
宮廷音楽のベースとなる珍しい琉球楽器、王族・貴族・士族の暮らしを彩った紅型や織物など、
復元作品、収集作品を結集して公開・展示。これを首里城公園管理部は、「首里城に魂を!」のタイトルの下に、
進化し続ける首里城を追及していると、上江洲氏は熱い言葉で講義を結んだ。


講義の前に、慶佐次興和副理事長から先日台風で中止になった第4回の野外講座の
「ビジガービラ・金城町石畳等史跡巡り」を9月15日(土)に行う旨の発表が…。
「あー、よかった」の歓声が一斉に上がりました。併せて、コース案内の説明書が配布されました。


永山理事長による全講座参加へのお礼と挨拶スピーチ。


最終講義は、首里城公園管理部の学芸員・上江洲安亨氏による「首里城に魂を!」
同管理部による諸々の王国文化遺産復元に賭ける実績とビジョンが語られました。


最終回もご覧のように“首里大学生”で満員御礼。大半が出席率100%なり。


今回もパワーポイントとスクリーンを駆使した授業です。



正殿二階御差床の背後に架けられた歴代清皇帝の御書の扁額。
三人の皇帝の筆跡を求め調べ、沖縄の書家によって復元された。


正殿一階の御差床と、ここにおける正月祝儀式の酒肴道具の配置と、
各位階ごとの士族のすわる位置取りを示す絵図。


上の祝いで用いられた足付き盆など琉球漆器の酒肴道具。
スタッフはこの漆器製作工程の綿密な解析を行い、その復元に成功した。


漆器の表面を彩る様々な文様には、それを描く絵師が欠かせないが、
現存する最古の絵、王府絵師・自了筆の「白澤之図」。
こうした絵師の存在が清皇帝へ献上された大皿や徳川美術館秘蔵の逸品の制作を可能にした。


史料の研究、分析と復元技術の探求で王府御用達の楽器も次々に復元されている。


城内売場などの利益は、たとえば復元が待望される中城御殿の古写真の収集にあてられる。


こちらは中城御殿の間取り、施設配置図。復元には決定的な史料である。
最近この貴重な絵図が発見され、首里城が生んだ利益が王府文化再現に貢献していく。



講義後の修了式。全講座を修了した“卒業生”は、一人ひとり名を呼ばれ、
永山理事長より修了証書が手渡されました。

当日、上江洲安亨氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。

 


 






※第4回 野外講座「ビジガービラ・金城町石畳、大アカギ等史跡巡り」は、
8月25日(土)に開催される予定でしたが、台風接近のため、9月15日(土)に延期されました。

当日の開催要項、コース&史跡解説ノートはこちら受講者以外の方も無料で参加できます。


第3回 平成24年8月16日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(403研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 首里城公園管理部事業課主任 幸喜淳氏
テーマ 首里城の彩色と塗装について




開園20周年事業の一環として、いま首里城は外壁の塗り替えが進行している。
経年による劣化で、あちこちで漆の退色、剥離等が起きているからだ。
平成18年から“塗り直しプロジェクト”が立ちあがり、22年に正殿の塗り替えが完了。
その後、北殿の塗り直しが済み、今年度からは奉神門の作業が行われる。

首里城は、通称、「赤い城」と言われる。
日本の白と黒の無彩色の城の中で、首里城だけが赤い。
その復元工事を記録したNHK番組「プロジェクトX 炎を見ろ 赤き城の伝説」ではズバリ、タイトルそのものだ。
いつから「赤い」かというと、朝鮮王朝の1462年の史料にすでに記述されているが、なぜ「赤い」かの理由は不明。

首里城のその赤には朱色と弁柄色の二種類があって、
それぞれ彩色の使い分けがされている。
王朝時代の「寸法記」や古文書等に細かな指示があり、
唐破風や御差床の柱は金龍に五色の雲に朱塗り、
外壁は酸化第二鉄の赤錆色を帯びた弁柄色と指定されている。

首里城の彩色は、一般のペンキによる塗装とは天と地ほどの相違がある。
桐油をまず塗り、その上に漆の顔料を何度も塗り重ねていく。
今回の塗り直しでは、漆の剥落した部分の下地おろし、木地固めに始まり、
二度にわたる中塗り、彩色に至るまで全27工程を経る。

王朝時はこの作業を漆器製作をしていた貝摺奉行所が担当していたが、
尚敬王文書に弁柄の顔料が不足して、輸入経費がかかることも記述されている。
言ってみれば、「首里城全体が巨大な琉球漆器そのもの」と言える。

直近で復元されたのは御内原への入口・淑順門だが、
この門の彩色は天然自前の弁柄色にすべく、その素材を求めて山原の森を探した。
また艶消しのために桐油に加えエゴマ油を試したり、弁柄と鍋で煮たり(毒性強い)、
岡山県産の弁柄を移入したり…いろいろ将来のためにテストした。

塗り替え作業中は、風よけのビニールシートが掛けられ、足場が組まれたりしていて
来園者の方にはご迷惑をかけてしまうことになるが、
足場の木材を弁柄色に統一したり、透明のアクリルフェンスを活用して、
逆に「巨大な琉球漆器そのものといえる首里城」の彩色作業工程をじかに公開できるようにしている。


第3回の講座も満員盛況なり。赤い城の彩色と塗装という専門的な講義がパワーポイントとスクリーンで展開。


「さあ皆さん、首里城の彩色ですがその辺のペンキ塗装とは一緒にしないで下さいよ~」と、講師の幸喜さん。
「なにしろ城がまるごと、あの高価な琉球漆器なのですから」


いきなり幸喜さんは、塗り直し工程を実際に視覚化したサンプルボードを指さしながら解説。
ボードを持つお手伝いをしているのは、那覇市歴史博物館の方です。


塗り直し中の正殿。数年の歳月と巨費を投じる空前の“お色直し”だ。



正殿二階大庫裡(ウフグイ)の玉座周辺の見取図と彩色の指示。


塗り直しの参考にした弁柄について記述した王朝時の古文書。


かなり専門的な講義なのに、満場の“首里大学生”は一言も聞きもらすまいと、
耳を傾け、スクリーンを見る。


講義後も、熱心な受講者からたくさんの質問が飛び、丁寧に応じる幸喜さん。


以下、三点の写真は複雑多岐にわたる彩色工程を示すボードをアップにしたもの。参考までに。



当日、幸喜淳氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。

 



 





第2回 平成24年8月9日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(403研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 ㈱国建 取締役・平良啓氏
テーマ 首里城の建築~平成の復元~




首里城復元事業のトータルな工事を担当した㈱国建の平良啓氏は、
琉球大学が移転して更地となった首里城の広大な敷地の写真に始まって、
この場所に順次、首里城の各施設が再び復元され、蘇っていく過程をパワーポイントによる
スライドと解説で講義していきました。

復元過程とともに、戦前の首里城がどのような姿であったのか。
それを琉球王府時代、明治、大正、昭和の各時代を追って、過去に遡って、
膨大な絵図と写真記録をもとにした時空を越える展開に、興味深いものがありました。

琉球処分後の廃屋同然の正殿、熊本鎮台による龍柱の位置の改ざん、
龍柱のかわりに燈籠が置かれた神社への変貌、奉神門や石欄干の撤去された跡の御庭の眺め、
そして昭和8年の国宝指定による首里城や周辺施設の改築、補修と保存……。
この時の学術調査、史料収集と保存が復元工事の原動力になったといいます。

復元工事は、四つの部会に分かれて進められました。
それは正殿に代表される木造建築部、漆塗りの大庫裡、唐破風、外壁などの彩色部、
あちこちにある龍立体造型の彫刻部、そして屋根を飾る瓦部でした。

各部にはそれぞれの専門家が配置され、同時並行で進行しました。
正殿屋根の赤瓦の制作に関わった奥原崇実、崇典父子の挑戦とその労苦は、
NHKテレビ番組「プロジェクトX 炎を見ろ 赤き城の伝説」で、
首里城外壁を飾るベンガラ色(朱色)の赤土顔料の探索苦闘とともに紹介されました。

正殿の木材のタイワンヒノキは工事前にまとめて購入していたため、
その後台湾で伐採禁止令が出た際も、助かりました。
値段も一気に高騰したため、もし一括購入していなかったら…
復元ストップ…予算暴騰…と、思うと冷や汗が出るそうです。

工事を担当していて驚くのは、
たとえば屋根の巨大な隅木を置く場合、現在は大型クレーンでなんとかできますが、
昔は沢山の職人が人力でやったわけで…頭が下がります。
大龍柱を造るにしても、今はプロがグラインダーを駆使して石の塊を2年掛けて削りますが、
琉球王国時代は石工が鑿と金づちで仕上げていくわけで、
いったい何人の石工が何年掛けて格闘したのでしょうか。

復元のモデルとなった昔の首里城は、そうして出来たんですねえ。

1992年の落成、公開スタート後も、復元工事はここかしこで増殖中です。
今日お話ししたことを脳裏に入れて、首里城を訪ねると、また新たな発見があるのではないでしょうか。
と、講義をしめました。



今日もいい話が聞けますよと、金城敏雄振興会副理事長あいさつ。右は進行担当の泉健司理事。


講師の㈱国建の平良啓氏。NHK番組「プロジェクトX 炎を見ろ 赤き城の伝説」でも登場した。


平良氏の厖大な絵図・写真記録を駆使したパワーポイントによる紅い城の、熱き講義。
参加者は100名近い。


明治40年代の正殿の姿。奉神門が取り払われているので、下之御庭から丸見えなり。


明治期の哀れな首里城を淡々と解説する平良氏。


書院の庭にいる明治期の陸軍兵士。庭園植栽や書院の復元資料なった写真。


沖縄戦で壊滅した首里城と周辺。右は城内で銃を構える米軍兵士。


復元工事前の正殿がたつ場所の空間。左奥に木材加工場が見える。


製材済みのタイワンヒノキ(右)と、礎石やシーサー彫刻に使われるニービヌフニ。


正殿二階の大庫裡(ウフグゥイ)の平面図。御差床もおせんみこちゃも見える。
田辺泰早稲田大学建築学部教授などによるこうした戦前の史料が復元のキメ手となった。


同様に正殿唐破風部分の詳細な造りの記録。


瓦部の職人スタッフ。左は瓦職人の奥原氏、右は漆喰職人の島袋氏。
こうしたプロフェッショナルが工事の各所にいて、首里城全体復元が可能となった。


講義後の質疑応答。なぜ南殿は塗装がなく、「白木」なのか?
色が塗られた史料が出てくれば、塗るが、今のところないので…が答えなり。

当日、平良哲氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。

 



 




 






第1回 平成24年8月2日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(403研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 琉球大学教授 高良倉吉氏
テーマ 戦後沖縄と首里城復元




首里振興会と那覇市歴史博物館、おきなわ県民カレッジとの連携講座「首里大学」は、
好評のうちに3年目の第3期に入り、講座内容は進化の度を深めています。

沖縄学の父・伊波普猷の提唱したニーチェの言葉「汝の立つところ深く掘れ、そこに泉あり」よろしく、
琉球王国のお膝元・首里についてのさまざまな「コト、もの、人」への興味にもたらされた学びを実践しています。

毎年、多数の受講者を集め、今年は89名の「首里大学生」が入学。
その入校式が行われ、つづいて第1回目の講義が始まりました。

講師は、琉球史の碩学・高良倉吉琉球大学教授。
高良教授は、首里城復元計画において、時代考証(工匠)ディレクターを担当。
沖縄戦による徹底破壊で影も形もなくなった首里城をどう復元するか。
そしてその空間と建物に琉球王国としての“魂”をどう封じ込めるか。
この難題に果敢に攻め入りました。

今から20年前の1992年11月2日の首里城竣工式典の夜。
王朝最後の尚泰王がこの城を去って百年後、
戦災で跡かたもなくなったこの同じ場所に、
月の光に照らされた正殿御庭に設えられた舞台で「御冠船踊り」が舞われ、
眼前に蘇った首里城の姿に、言い知れぬ感慨を覚えたといいます。

復元する上での理念は、「根拠をもつ復元」。
理由の分からないもの、データのないものは、復元の対象にしない。
そのための徹底的な調査、クレージーなまでの解析、分析と、復元実施工程。
この結果、復元する城のモデルは1709年に焼失し、
1710年から1715年に再建された尚益王、尚敬王時代の城でした。

そのために各分野の専門家と行政のプロが集結。
法隆寺など木造建築の権威から漆塗りや赤瓦焼きに至るまでの第一人者がプロジェクトを組み、
先の大戦で失われた琉球の伝統技術を取り戻す試みでもありました。

それにしても、琉球処分以降、王国や首里城にまつわる文化財や史料の消失、流失はひどかった。
中山門にいたっては老朽化を理由に、払い下げられ、風呂屋のマキになってしまった。
流出、消失によって、何処に何があるか、データそのものが喪失してしまった。
現在、ボストン美術館やベルリン博物館には、「琉球コレクション」として、
王朝の位階の象徴であるハチマキの現物や、ハジチを施すための携帯用の道具さえ保存されている。
しかし大戦ですべてが失われた現実を考えれば、逆説的だが、その方がよかったのかも知れない。

しかし運よく、残された史料、資料もあって救われた。
戦前、外務省の倉庫へ移管された「評定所文書」は、関東大震災でいったん灰になったはずのところが、
借りたまま返却しないでいたため東大法学部に奇跡的に残った。
その一つ、一つを見れば、涙が出てくるほどの貴重な宝だ。

その他、「根拠をもつ復元」に役にたったのは、
教師として沖縄へ赴任、琉球の染織工芸の研究家・鎌倉芳太郎氏の撮影した首里城や周辺の写真、
首里城改修時の寸法記や絵図(設計図)、スケッチ絵や様々なメモ類など、微に入り細を穿つ生きた史料の数々。

早稲田大学建築部の田辺泰教授と弟子の巌谷不二雄氏が出版した「琉球建築」(昭和12年刊)には、
首里城や円覚寺の詳細な平面図が残されていて、復元のキメ手になった。

昨年好評を博したテレビドラマ「テンペスト」の舞台としてロケとして使われ、
視覚的に一大琉球王国時代絵巻の創造を可能にした「カタチとして見える、さわれる首里城」。
この城の復元の意義はそこにあるのではないでないか、
と、高良教授は熱い講義の時間を結びました。

概要は、下の当日配布されたレジュメを参照してください。


永山潔・首里振興会理事長の第3期首里大学開講挨拶。


講座連携の那覇市歴史博物館・岸本修館長のスピーチと講師紹介。


始めに高良教授は、現在も進む首里城全域復元についてふれ、
正殿横の黄金御殿、近習詰所、裏側の御内原の世誇殿、美福門、かるべ御嶽が進行中で、
あと4~5年後には公開できるのではないかと、語る。


県総合福祉センターの会場は、冷房はよく利いていても、熱気ムンムン。


ご覧のように、百名近い向学心いっぱいの「首里大学生」で満杯状態。


正殿2階の祭祀空間「おせんみこちゃ」の火の神の背後の壁が黄色で、
1階下庫裡の背面も同じく黄色で塗られているが、何故か?
その価値感を知っていたであろう古老もなくなってしまった…


毎年参加される「首里大学生」もあちこちに見受けられる。


琉球王府の日々の行政記録である「評定所文書」の“生残り”には涙が出ると…。
右の図は首里城公園のうち、小さな円の城壁内が国営公園で、
それを囲む大きな円が県営公園に相当すると、解説。


席が足りなくなったので、臨時のテーブルを設けて対応。


講義後の質疑応答タイム。沖縄の「城」の呼び名はなぜいろいろあるのか、統一できないのか。
この質問者も自身の姓に「城」が付くので困っていると。高良教授も返答にとまどう和やかな雰囲気。


終了後には、受講者全員に「首里大学学生証」が配布され、出欠簿、学費(受講料)領収書も兼ねる。


当日、高良教授から配布された手作りのレジュメ(ゆんたくレシピ)
各画像をクリックすると、拡大します。