古都首里の歴史と文化を学んで、
もっと首里を好きになろう!


第6期首里大学(市民大学)開催レポート

平成27年度「琉球王朝祭り首里」&那覇市歴史博物館&おきなわ県民カレッジ連携講座

全5回の講座です。日程とカリキュラムはこちらご覧ください。

首里振興会と那覇市歴史博物館、おきなわ県民カレッジとの連携講座「首里大学」は、
好評のうちに5年目の第5期に入り、講座内容は進化の度を深めています。

沖縄学の父・伊波普猷の提唱したニーチェの言葉「汝の立つところ深く掘れ、そこに泉あり」よろしく、
琉球王国のお膝元・首里についてのさまざまな「コト、もの、人」への興味にもたらされた学びを実践しています。


第1回&開校式 平成27年8月6日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(501研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 琉球大学名誉教授・高良倉吉氏
テーマ 歴史としての琉球処分




明治12年の「琉球処分」へと至る明治政府の進め方を追うと、
その周到な手順、入念な布石の打ち方に驚かされる。
宮古船の台湾への漂着とその乗組員の殺害が「琉球処分」の直接の引き金だが、
欧米列強の進出を背景にした新生日本の国家運営の一大事業として、“琉球併合”を画策していたことが見て取れる。

なお、反日感情をあおる“処分”という言い方だが、当時は切って捨てる的なニュアンスではなく、
国家の一プロジェクトに対する呼び名の感じがあった。
消滅した江戸幕府家臣団の年金保障問題解決施策のも同様な“処分”というネーミングがされていると、
高良倉吉氏は語る。

★講義の詳細は、一番下の当日配布されたレジュメを参照してください。


募集開始1週間もたたないうちに、定員オーバーで、満員札止めの状態。
開校式当日も、30分前から押すな押すなの大盛況。



受付では顔なじみの受講生の間で、「一年ぶりね」のあいさつが飛び交う。
デスクの中央に受講生の「学びのパスポート」(沖縄県発行が見える。


ご覧のように満員!! 


慶佐次興和副理事長による、この首里大学は4年後の10周年には
更なる高みを目指して「首里大学院」にしようの力強い開会あいさつ。


永山潔理事長による開校式メッセージ。左側に本日の講師・高良倉吉氏がスタンバイ!


ヒゲでおなじみ古塚達朗那覇市歴史博物館館長のあいさつ。
年ごとに受講生が増える熱意に対し、期待に応えられるよう琉球歴史勉学の決意を。


那覇市歴史博物館主幹並びに学芸員の外間政明氏による講師紹介。


別紙の資料のごとく、新生・明治政府の「琉球処分」へ向けての
巧緻な政策上の布石を明らかにしていく。



ホワイトボードには「脱清人」の文字。琉球処分へ至る複雑な政治状況の中で
王国の存続に固執して清国へ援けを求める士族の一派もいた。


評判の悪い「琉球処分」という用語だが、現代的なニュアンスと異なって、
当時は政策のプロジェクト名として使われていたことは頭の片隅に置いてほしいと。


「脱清人」の一人・林世功の辞世の七言絶句は泣かせる。
個人の死をもって、消滅しようとしている王国の復興を願う詩を朗読した。


高良氏の白熱授業に会場はピンとした空気が張り詰める、90分の授業。



最後の質疑応答。首里城御庭の大龍柱の向きが違うのは熊本鎮台の仕業かと。


若い女性からも積極的な質問が…


琉球・沖縄史の勉強は世代を超える。

当日、高良倉吉氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。

 



 





 




第2回 平成27年8月13日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(501研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 沖縄美ら島財団総合研究センター研究第三課長・上江洲安亨氏
テーマ 清朝期における台湾での琉球漂流民遭難事件~乾隆55年・嘉慶15年の事例を中心に~




新生・明治政府は当初、西郷隆盛らの「征韓論」による大陸侵攻を画策していたが、
大義名分がなかった。そこへ台湾での宮古島の漂流民遭難事件が勃発した。
69人のうち、54人もの琉球人が原住民に殺害された。

時の清朝政府へ言いがかりを付ける格好の口実になったが、
琉球は薩摩が実質的に支配しているとはいえ、日本ではなかった。
大和へ併合する必要がここにあった。これが「琉球処分」の第一の動機である。
清朝政府へ糾弾すると、「台湾は清朝文化の外」の返事で、台湾侵攻を実行。
膠着状態になったが、その後清朝政府の謝罪を取り付けた。
明治政府は以後、沖縄を巻き込みながら、第二次世界大戦にいたる負の歴史を刻んでいく。


★講義の詳細は、一番下の当日配布されたレジュメを参照してください。



第二回目も続々と受講者の皆さんが詰めかける。大わらわの受付。


今日はパワーポイントとスクリーンを駆使する授業なり。


本日の講師は、首里城公園学芸員の上江洲安亨氏。
琉球新報「落ち穂」で「酒かおる首里城」などの連載コラムで大人気です。


那覇市市民文化部・古文書解説員の川島淳氏による講師紹介。


明治10年(1871年)に勃発した台湾における宮古島の人々の遭難と殺害事件が
「琉球処分」の直接的な誘因になったと、切り出す。


この事件をきっかけに、琉球問題について、
明治政府は中国と正面から渡り合う姿勢に転じた。


過去の類似事件について、琉球・薩摩側と清朝側の双方がこれまでどう対処してきたか。
その一つ一つを数百年にわたって解析し、「琉球処分」の真の意味を探っていく。


受講生の皆さんは目と耳を全開しつつ……、


手はノートをとることを忘れない。


質疑応答であきたらず、個人的な質問をする熱心な受講生。



提出した受講生カードを受け取って、持ち帰る首里大学学生の皆さんの長い列。


当日、上江洲安亨氏から配布された手作りのレジュメ

各画像をクリックすると、拡大します。

 



 



第3回 平成27年8月20日(土)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(501研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 那覇市歴史博物館主幹(学芸員)・外間政明氏
テーマ 首里城明け渡しと尚家資料



「琉球処分」がいつから始まったか。
その起点を明治5年の琉球藩設置の詔勅が下された年と、外間氏は見ている。
その3年後に熊本鎮台分遣隊の派遣が決定がなされ、琉球は日本国が守る体制が敷かれる。
明治12年に琉球の廃藩置県と首里城明け渡し(琉球処分)が行われ、
首里城内所蔵物の接収と搬出がなされた。
その後熊本分遣隊の駐屯が現実に始まり、
当時の絵図には首里城の下方に城より大きく分遣隊の施設が描かれている。
中山門などの王府関連施設や文物文物が払い下げられ、王家主要人物は東京転居を命じられ、
日清戦争の日本勝利とともに清国との絆を断たれ、琉球の大和化が加速していく。



講師の外間氏。当初、この講義は最終回に予定されていたが、
都合によりこの回に前倒しされた。


欠席者もなく、この日も超満員の会場。熱気ムンムンの向学心に講師の教鞭も、いや喉とペンもつ手も力が入ります。



「琉球処分」後の首里城明け渡しの様子や、王国の遺産の保護や処分について細かく語られる。



同時に尚氏王家一族の東京転居や身分の扱いなどについて、
主要人物ごとに逐一、解説していく。



那覇松川の大道小学校のそばに「練兵橋」なる名前が残るのは、
琉球処分当時この辺りに、熊本鎮台の射撃訓練場があったためと語る。



首里城から尚家中城御殿に移された王国遺産の数々…



質疑応答も活発、マニアックな質問も飛んで講師もタジタジなり。
この回の講師提供の資料は貴重で必見!下の資料をクリックして拡大してください。


当日、外間政明氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。

 



 





 




   



4 平成27年8月22日(土) 9:30首里杜館広場集合 10:00出発~12:30汀良町自治ふれあい館到着

古都首里野外フィールドワーク「汀良町の史跡めぐり」
あすい森嶽~儀保殿内~聞得大君御殿跡~後ヌ道
案内役 古都首里探訪会の皆さん


座学に加え、自らの足で首里の史跡を巡り歩くカリキュラムを用意しているのも「首里大学」の特徴です。
新旧の聞得大君御殿跡や儀保殿内跡、
戦後の首里復興の起点となった首里市役所跡などがある汀良町(旧汀志良次)を探訪。
参加者は70名余り、炎天下、8グループほどに分かれ、
熱中症に気を付けながら、古都首里探訪会の案内で楽しく巡りました。
ゴールになった汀良町自治会館ではかき氷サービスも行われ、大好評!!





首里大学第4回 動画ムービー「汀良町の史跡めぐり」 3分33秒
真ん中の矢印の再生ボタンを押すとスタートします。



第5回&閉校式・修了書授与
 平成27年9月3日(木)18:30~20:00
沖縄県総合福祉センター(501研修室)/那覇市首里石嶺町

講師 那覇市歴史博物館学芸員・鈴木悠氏
テーマ 開化党と頑固党




開化党とは「琉球処分」を受け入れる前向きの一派、沖縄県政を容認した人たちのみずからへの呼称である。
一方、頑固党とは頑迷固陋にこれまでの琉球王国の存続を願う一派で、
沖縄県政を否定した者たちが開化党からネーミングされた他称だった。
この対立は日清戦争の終了まで30年近く続き、島を二分する不幸な対立となった。
「琉球処分」官の松田道之は清国への進貢停止、冊封拒否、明治年号遵守、
熊本鎮台分遣隊の駐留を命ずる一方、
これに抵抗して頑固党の一部は清国へ「脱清」して救けを求めるなど凄まじい内紛となった。


★講義の詳細は、一番下の当日配布されたレジュメを参照してください。


基地問題とも絡み、「琉球処分」への関心の高さから、ほとんど欠席者もなしに最終日を迎えた。
受講生各人の沖縄県発行「学びのパスポート」がうず高く積まれている。



クーラーも最高にしないと、人いきれで大変な会場なり。


最終回の講師は、那覇市歴史博物館の新鋭、若き琉球史研究者・鈴木悠氏。


琉球処分が招いた琉球を二分する「開化党」と「頑固党」の確執からこの時代を読み解く。



両党の鬩ぎあいは、明治30年代、日清戦争で日本が勝利するまで続く、と語る。



「頑固党」とは沖縄県政を否定した人たちが、「開化」側から皮肉を込めて名付けられたと、解説。



頑固・開化の垣根を越えて琉球が一致団結するために「首里大綱曳」が挙行された。



永山潔首里振興会理事長による終了と感謝のあいさつ。



古塚達朗那覇市歴史博物館館長の感謝と激励のあいさつ。
みんなで琉球の歴史とこの土地を愛していきましょうのメッセージに熱い拍手が。



4回以上受講した“学徒”の皆さんに首里大学修了証書が手渡された。



一人一人名前を呼ばれて証書を受け取る姿は、晴れがましさに満ちていて、素敵でした。


当日、鈴木悠氏から配布された手作りのレジュメ
各画像をクリックすると、拡大します。