琉球500年の古都・首里の伝統と文化を次の世代へリレーしていくために。
地元スインチュから、沖縄、日本、全世界のウチナーンチュとウチナー・ファンの力を結集しましょう!
首里振興会 古都首里を愛する人たちの輪
廣福門
首里振興会事務局:〒903-0807 那覇市首里久場川町2-18-9 首里支所内1F  
理事長:永山潔  事務局長:又吉盛秀
TEL:098ー886ー5547
 FAX :098-943-0097 e-mail: staff@syuri-sinkoukai.com
古都を愛する人達の「輪」と「和」…首里振興会会員にあなたも!
廣福門


トップ
首里というところ
琉球王国の歴史と変遷

首里城と城下町について

首里の風土と土地柄

戦前の首里の町

沖縄戦による災禍

戦後の復興

首里城の復元 

理事長挨拶と役員紹介

首里振興会の歩み 

首里地区自治会の役割
 

古式行列

旗頭、祝賀パレード

サポーター掲示板

リンク

只今募集中、首里文化応援団サンプルページ

2.首里城と城下町について


城を中心に、町が生まれ、王国が整った。
琉球王朝の華―スイグスク。



宮廷楽士による儀式演奏
日本の城と趣きを異にする首里城では、折にふれて、異国情緒漂う様々な儀式が
挙行されている。これは琉球王朝お抱えの宮廷楽士による鼓吹楽。




たとえば江戸幕府の城が江戸城であり、
その城下に江戸の町が栄えたように
尚巴志王が王都を首里に定めてから明治時代の廃藩置県までの450年余、
琉球国王の居城は首里城であり、
そのまわりに首里、那覇の町が栄えました。

西のアザナ
那覇や離島を一望できる西のアザナ


しかしその城と城下の眺めは、江戸とは趣きを大分異にしていました。
延長1kmに及ぶ石積みの壮大な外壁、
周辺―帯の亜熱帯植物の森、
中国の建築様式を随所に採り人れた建造物や楼門が立ち並んでいました。
そして標高158米の小高い丘の上からは、
広く諸外国と貿易を営む那覇の海と町並みが眺められました。


■私たちも、琉球五百年の古都・首里の伝統文化の継承を応援しています!
首里文化応援団紹介リンク・スペース05(募集中)
<応援団ページへ>

守礼門

首里城の正確な創建年についてはまだ明らかでないものの、
創建以来、城内の建造物は様々な時代背景と深く関わり、
また、王府の中枢施設として、幾たびかの改築・再建の整備・拡充がなされました。
終戦前のものは1712年の建設とされます。

さらに城外においても
王都にふさわしい尊厳と風格を備えるため、
街路整備や社寺の建立、築庭、植林等の町づくりがなされ、
かつて日本で最も美しい城下町のひとつといわれました。

曲線が美しい城壁
城壁の稜線まで美しい城


琉球王朝の進貢貿易の拡大とともに、
明国の進んだ文物(磁器、絹織物、鉄製品等)が大量に輸入され、
この時期に独自の琉球文化を創造する基盤が形成されました。

しかし琉球王府に関しては、
貿易で富の蓄積は大いになされましたが、
薩摩侵入(1609年)により一変し、
自国で価値あるものを生産し、対外輸出によって財政を支えなければならなくなりました。


初春の琉舞
首里城正月恒例下の御庭での寿ぎの琉舞


中国や日本、朝鮮等の諸国の技法を採り入れ、
応用して品物の価値を高め、極めて洗練度の高い工芸品を創出しました。
また、琉球古来の思想、文化の基盤の上に外来文化をアレンジし、
琉球の風土に即した独自の技術を発展させてきました。
紅型や首里織、琉球漆器、壷屋焼などの伝統工芸や
琉舞、三線に代表される伝統芸能や固有の空手、古武道はそのほんの一例です。
これは首里城を拠点に華ひらいた、
日本のまぎれもないもう一つの文化でした。


■私たちも、琉球五百年の古都・首里の伝統文化の継承を応援しています!
首里文化応援団紹介リンク・スペース06(募集中)
<応援団ページへ>



トップへ戻る




Copyright 2008, Syuri-shinkoukai , All Rights Reserved.