デジタルブック_自治会
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 崎山町は、琉球王国時代から赤田、鳥堀町とともに首里三箇と呼ばれ、この地域は水が豊富な事から王朝時代から泡盛の生産が盛んで泡盛の発祥の地として知られています。 現在でも崎山(瑞泉酒造)、赤田(識名酒造)、鳥堀町(咲元酒造)に一社ずつ残っています。 また崎山町は王朝文化を偲ぶ名所旧跡が多い所として知られ、当自治会(会員世帯数330)は案内板設置など当地の歴史紹介に力を入れています。 主な名所を首里城南側の崎山馬場通りから順を追って紹介します。歴史散策にお役立てください。1.崎山馬場 国王の競馬場。東西約325メートル、西端がンマイーヌチビ(尻)、東端がンマイーヌカラジ(頭)で、中央付近(崎山公民館敷地)が国王が来臨する御桟敷で、ここに1835年首里に14あった村学校の一つ「啓蒙館」が建てられました。 銘酒泡盛瑞泉酒造もこの通りにあり、見学でき、古酒の試飲もできます。2.崎山遺跡 旧石器時代の鹿の角、骨等を出土。3.崎山御嶽 崎山主(シー)を祀り、波上権現の由来があります(那覇市指定文化財)4.崎山樋川 崎山御嶽の東側。王府の正月のお水取りの行事に吉永として献上。 冊封使葆光は「岩瀑門に当たりて  落ち…」と崎山樋川の清冽豊富な水量を詠んでいます。5.雨乞御嶽 旱魃のとき国王が降雨祈願祭をしたとの伝説。(那覇市指定文化財)6.石造大獅子 フィザン(火災を起こす山)島尻の八重瀬岳に対峙して製造。 元は雨乞御嶽脇の御茶屋御殿内の御殿山岩陰にありました。7.御茶屋御殿跡(東苑)  国王が遊覧したり、冊封使など国賓を歓待した別邸兼迎賓館。茶会始めいろいろな芸能の宴が開かれた。菜園跡は城南小学校になっています。"拝でぃ拝みぶしゃや首里天加奈志、遊しでぃうちゃがゆるお茶屋御殿" (古屋チルー)と詠われたこの御殿の復元は地元はもとより、首里城につづくウチナーンチュの悲願です。崎山自治会泡盛と歴史の故郷…

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