戦前の首里と、首里人(スインチュ)
戦前の首里は、王朝残影。
詩人・佐藤惣之助はこう感嘆しました。
『しづかさよ、空しさよこの首里の都の宵のいろ…』
赤瓦屋根の連なる戦前の首里の町並み
戦前の首里は、王朝残影。
詩人・佐藤惣之助はこう感嘆しました。
『しづかさよ、空しさよこの首里の都の宵のいろ…』
明治期から戦前の首里人
戦前の首里は、官僚の町でもありました。明治12年の廃藩置県による王政の解体、士族階級の離散などの社会制度の変遷を生き延びた首里人(スインチュ)は、士族はもとより、泡盛産業の旧家、官公庁の役人だけでなく、首里市民全体が「自分はスインチュ」という気概に満ちていました。
世替わりの不遇をかこちながらも首里人は、社会的技量と非常に高い気位をもっていましたので、その子弟の多くは、出世街道を邁進し、各界に傑出した人物を輩出しました。
また、一方でほかの地域に活路を見出し、県内各地に転居した首里人は、行く先々の村に直接合流するのではなく、既存の村落の近くにひとまず集落(ヤードイ)を構えて、徐々に地歩を固めていきました。
県内各地には、いまでも、それぞれに高い気位を保ちながらそうした「スイナガリ(首里流れ)」としてのルーツを誇る家系も少なくありません。
戦前の首里人


また土地の佇まいに目を移せば、戦前の首里は森の町でした。
石垣に囲まれた民家は例外なく赤い瓦屋根で、雨端(あまはじ)と呼ばれる軒の張り出しが長い上に、亜熱帯照葉樹の屋敷林に深々と覆われて、中からしわぶき一つ聞こえない静まり様でした。
目抜き通りだけは商店が並び、下駄の音や話し声がまばらに聞こえる程度です。
一歩屋敷町に入ると、耳が痛くなるほど、静穏そのもの。物音は、まず枝葉の絶妙な消音効果で分散され、石垣に吸収されて、外界には届きません。
メジロの囀り(さえずり)やけたたましいヒヨドリの声が梢から風に乗って伝わるだけです。
首里のこの異様なほどの静けさに感じ入って、詩に表した人がいます。
佐藤惣之助です。
戦前、『人生劇場』『赤城の子守唄』『人生の並木道』などの
ヒット曲で知られるモダニズム詩人ですが、
旅行で訪れた琉球首里の印象をこう書いています。
佐藤惣之助の「宵夏」の詩
陶芸家浜田庄司の手になる陶板が用いられた
惣之助の「宵夏」の詩碑
『しづかさよ、空しさよ
この首里の都の 宵のいろ
誰に見せやう 眺めさせよう』 (佐藤惣之助)
現在、首里赤平町・虎頭山(とらずやま)の城下町を見おろす山頂にこの詩碑が残されています。
首里城復元前は、城跡入口にあったのですが。
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琉球王国の歴史と変遷
日本の南の果てー亜熱帯の島々に
もうひとつの文化が華ひらいた。
琉球王国、450年。
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首里城と城下町について
城を中心に、町が生まれ、王国が整った。
琉球王朝の華―スイグスク。
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首里の風土、土地柄
高台にあるのに、そこは森と水の町。
珊瑚の島の自然と歴史文化が生んだ
世界遺産・首里城。
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戦前の首里と、首里人
戦前の首里は、王朝残影。
詩人・佐藤惣之助はこう感嘆しました。
『しづかさよ、空しさよこの首里の都の宵のいろ…』
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沖縄戦による災禍
首里に日本陸軍司令部があったことから、
王国の史跡・文化遺産のことごとくが消失し、
城下町のすべてが壊滅しました。
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戦後の首里復興
戦争で廃墟と化した首里の町に元の首里人が戻り、
瓦礫を片付け、石垣を積みなおし、
一からの復興が始まりました。
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首里城復元計画と工事
首里城の復元は、本土復帰前の琉球政府の、
そして復帰後は市、県、国あげての
悲願であり、夢でした。