首里の風土、土地柄
高台にあるのに、そこは森と水の町。
珊瑚の島の自然と歴史文化が生んだ
世界遺産・首里城。
高台にあるのに、そこは森と水の町。
珊瑚の島の自然と歴史文化が生んだ
世界遺産・首里城。
首里の町は、海抜わずか160メートルの丘陵台地にありながら、その中で、隆起珊瑚礁石灰岩をいただく小さい丘陵が三条も並び、その麓には至るところに地下水が湧き出て、飲料水には事欠きませんでした。
事欠かないどころか、首里城台地の東には豊かな水源を活かした名酒泡盛の醸造所が60余りも栄え南側斜面には、豆腐とモヤシ、北西には紙すきの業が繁盛していたほどです。
首里の王城は、このような地勢と豊かな水源に育まれ、また人々の生業に支えられ、発展した象徴といってもいいでしょう。
ところで、その首里の丘の上に城が現れたのはいつの頃か、詳らかではありません。
その昔、海を渡って琉球に漂着し、海岸近くに集落を形成しながら発展していった部族が、さらに権益を広げようとすれば、まず眺望のいい丘の上に立とうとしたはずです。
北部の山岳地帯に比べれば、中南部は標高わずか100メートルほどの丘陵地帯。
その中で一番高い首里の丘を目指していったに違いありません。
地質学的な常識では、沖縄中南部の丘は太古の昔から中国大陸の大河からの微粒子が堆積した東支那海泥岩(クチャの層)が隆起してできたものです。
そしてその上に珊瑚礁石灰岩が、厚く覆っています。この岩層は多孔質で雨水をよく吸い込んで、大量に貯え、徐々に麓に降ろして、泉水を涵養します。
泉の周りには亜熱帯照葉樹が繁り、動物が繁殖し、集落が栄えて、豪族が現れ、そして権勢の証として城(グスク)が築かれたものと思われます。
動物、植物も集落もお城も、琉球ではすべて隆起珊瑚礁石灰岩に、その繁栄の基を置いていることに気づかされます。
首里城を中心とする「城(ぐすく)群」が世界遺産に認められましたが、本土と風土を異にするこうした珊瑚の島の様々な属性が大いに寄与しているのではないでしょうか。
世界文化遺産に登録された首里城では、おりにふれて往時を偲ぶ様々な儀式が催されています。
-
-
琉球王国の歴史と変遷
日本の南の果てー亜熱帯の島々に
もうひとつの文化が華ひらいた。
琉球王国、450年。
-
-
-
首里城と城下町について
城を中心に、町が生まれ、王国が整った。
琉球王朝の華―スイグスク。
-
-
-
首里の風土、土地柄
高台にあるのに、そこは森と水の町。
珊瑚の島の自然と歴史文化が生んだ
世界遺産・首里城。
-
-
-
戦前の首里と、首里人
戦前の首里は、王朝残影。
詩人・佐藤惣之助はこう感嘆しました。
『しづかさよ、空しさよこの首里の都の宵のいろ…』
-
-
-
沖縄戦による災禍
首里に日本陸軍司令部があったことから、
王国の史跡・文化遺産のことごとくが消失し、
城下町のすべてが壊滅しました。
-
-
-
戦後の首里復興
戦争で廃墟と化した首里の町に元の首里人が戻り、
瓦礫を片付け、石垣を積みなおし、
一からの復興が始まりました。
-
-
-
首里城復元計画と工事
首里城の復元は、本土復帰前の琉球政府の、
そして復帰後は市、県、国あげての
悲願であり、夢でした。
-