首里振興会 古都首里を愛する人たちの輪

首里城復元計画と工事


首里城復元計画と工事

首里城復元計画と工事

首里城の復元は、
本土復帰前の琉球政府の、
そして復帰後は市、県、国あげての悲願であり、夢でした。

首里城復元計画と工事

首里城の復元は、
本土復帰前の琉球政府の、
そして復帰後は市、県、国あげての悲願であり、夢でした。

小高い丘の上に立つ首里城は、多くの役割を担っていました。その歴史は琉球王国の歴史そのものであり、信仰上の聖地であり、また国王とその家族が居住する「王宮」であるとともに、王国統治の行政機関「首里王府」の役所でもありました。

沖縄戦で完全消滅した琉球王国のシンボルの復元は、全沖縄県民の夢のプロジェクトでしたが、国営沖縄公園事務所を中心に、首里振興会の母体である地元首里の各自治会はもとより、那覇市、沖縄県、官・民・学、県内外の政財界、教育界あげての協力のもと、二十有余年の歳月をかけて、1992年に正殿、北殿、南殿などの主要施設が完成、一般の公開が始まりましたが、現在も様々な拡張工事が進行中で、首里城城域空間全体の完全なる歴史的復元を目指しています。

また首里城は、2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録されました。
1. 首里城跡 2. 園比屋武御嶽石門 3. 玉陵 4. 識名園 5. 今帰仁城跡 6. 勝連城跡 7. 座喜味城跡 8. 中城城跡 9. 斎場御嶽 の9ヶ所ですが、その中核施設として、歴史的にも、文化的にも、様々な可能性を秘めていて、その一部はすでに知られています。
たとえば正月の王朝儀式や新春の舞、 秋の中国皇帝の使者「冊封使 」をもてなした冊封七宴のひとつ 「中秋の宴」 を再現や、首里振興会主催の伝統の「琉球王朝祭り」と連動した「首里城祭」、中秋の名月を愛でる「観月会」などの恒例企画のほか、2000年の沖縄サミットでの「公式晩餐会」会場、最近ではオペラ公演の舞台としても注目されています。

その復元の具体的な過程については、以下のサイトをご覧ください。

首里城復元の初期の告知パンフレット

(16ページ、1987年、国営沖縄記念公園事務所発行)

首里城復元計画_パンフ01

首里城復元計画_パンフ02

首里城復元計画_パンフ03

首里城復元計画_パンフ04

首里城復元計画_パンフ05

復元の夢が正夢に変わるまで…

■1970年(昭和45年)
琉球政府文化財保護委員会(首里城復元期成会の前身)が首里城及びその周辺戦災文化財の復元計画を策定し、日本政府へ正式に要請する。
■1972年(昭和47年)
首里城歓会門の復元工事が始まる。(〜49年)。
■1973年(昭和48年)
「首里城復元期成会」が結成される。
■1977年(昭和52年)
久慶門の復元工事が始まる(〜59年)。
■1982年(昭和57年)
国の沖縄振興委員会の中に「沖縄戦災文化財復元等に関する小委員会」ができる。
■1984年(昭和59年)
国の沖縄振興委員会の中に「沖縄戦災文化財復元等に関する小委員会」ができる。
■1986年(昭和61年)
国営公園区域の事業が着手される国営沖縄記念公園首里城地区として、首里城跡地約4haの整備が閣議決定。
■1987年(昭和62年)
首里城公園の都市計画事業承認される。
■1988年(昭和63年)
首里城正殿の設計が完了する。
■1989年(平成元年)
首里城正殿の復元に向けて「木曳式」「起工式」を開催。首里城正殿建築工事が着手される。
■1992年(平成4年)
首里城正殿、南殿、北殿、奉神門等完成、国営沖縄記念公園として一部開園。
■1995年(平成7年)
首里城復元期成会、龍樋称賛石碑碑文七基を復元完成し国営沖縄記念公園に寄贈する。
■2004年(平成16年)
首里城復元期成会、継世門前左右の石碑碑文二基を復元完成し沖縄県に寄贈する。
■2007年(平成19年)
奥書院と鎖之間の復元
■2014年(平成26年)
黄金御殿。寄満の復元
■2019年(平成31年)
東のアザナ、寝廟殿、白銀門の復元

(首里城復元期成会資料参照)